2010年4月 6日

「碍」に関する漢字小委員会へのパブコメと障がい者制度改革推進会議

「碍」に関して漢字小委員会に提出していたパブコメ

昨年末に募集された、改定常用漢字表の試案に対する2回目のパブリックコメントにて、私は「碍(がい)」に関して次のような意見を文化審議会国語分科会漢字小委員会にメールで送付していた。(以下一部抜粋)

●「碍」については「障がい者制度改革推進本部」に判断を委ねるべき
 先ごろ内閣に設置された「障がい者制度改革推進本部」においては、「障害」の表
記の在り方についても検討を行うとされている。
 今回の常用漢字表改定においては、「障碍」への書き換えを可能にすべく「碍」の
字種追加希望がパブリックコメントにて出されているところ、これまでの審議では、
障害者団体の中でもさまざまな意見がありまとまっていない、障害者個人の意見が判
然としない、といった意見が委員から出されていた。
 であれば、内閣総理大臣が本部長を務め、障害者や障害者団体が多数参加する予定
の「障がい者制度改革推進本部」に判断を委ねるべきではないか。現政権がそうした
施策を打ち出している以上、漢字小委員会は、この問題を先行して判断する立場には
なく、また、その能力や責任も有していないと考える。

ごく普通の論理的帰結、政治的判断であり、当たり前のことを言ったつもりだったのだが、どうもこのような趣旨のパブコメ提出は私だけだったようだ。今年1月の第38回漢字小委員会では予想外に注目してもらえたようで、どうやらその方向で事は進んでいるようだ。

「障がい者制度改革推進会議」では「障害(者)」表記見直しに消極・反対が優勢

先に一応念押ししておくが、昨年12月に内閣に設置された「障がい者制度改革推進本部」とその下部の「障がい者制度改革推進会議」は、なにも表記の議論をメインとはしていない。障害者制度改革に関する多岐にわたる議論が、毎回4時間も費やす会議にて急ピッチで進められている。たとえば、第2回では、障害や差別の定義といった根本的な議題、「障害」表記と同じ第5回では、教育に関する実質的な議題のほうにより多くの時間を割いている(表記の議題は30分程度)。そしてきわめて切実な雇用の問題は、第3回、第4回と連続して取り上げている。また、次回(第7回)では「情報へのアクセス」が議題の一つとして取り上げられる予定で、IT業界に身を置く者の一人としては特に関心を持っているところである。

そんななか、表記のみに注目するような向きは、当事者にとっておそらく不本意であろう。そのことは重々理解したうえで、論じる議題を選択する自由(当ブログが現時点で「障害」表記を取り上げている自由)は認めていただければと思う。

さて、3月19日に開かれた「障がい者制度改革推進会議」(第5回)では「障害」表記が議題の一つとして取り上げられており、その資料と動画を一通り閲覧した。表記の見直しには消極あるいは反対論が優勢で、どうやら法令等の公用表記はひとまずそのままか(たとえ変えるとしても「障害のある人」か)。表記よりも社会の意識のほうが大事なのでは、他に取り組むべき課題があるのでは、といった意見が目立ち、多数を占めている模様である。表記の選択肢を広げる意味で常用漢字表への「碍」追加を要望することにも消極論が多い模様だが、文化審議会側の日程をにらみつつ、ネットで一般国民を含めて意見募集したうえでもう一度6月初めか5月終わり頃に議論するらしい。

審議の場では、表記について議論する理由として、表記が国民の意識や障害者自身の自覚にも影響する、表記を変えることによって制度や意識などを変えていく意義があるのだ、という趣旨説明があった。しかし、障害者に対する差別をどのようになくすかという目的は共通しているものの、表記から社会を変えていくと考えるのか、表記だけの問題にされたくないと考えるのか、どこまでも平行線なのではないのかという総括的意見が出されていた。その後は反対意見が続き、たとえば手話で意見を述べていた委員からは、手話での「障害」の表現変更を提案したが議論にならなかったという発言(手話)もあった。他の委員からはストレートに「漢字をどうこうというのは、なんかこう・・・じゃあ漢字を変えればいいのかよ」という疑問も提示されていた。各委員が事前に提出した意見の資料を見ても、やはり消極・反対論が多数を占める状況である。

そして審議の終盤で、「障碍(者)」への書き換えを主張している学識経験者の委員が、「碍」の字の成り立ちや、日本が批准する予定の国連の条約における障害の定義の転換に合わせて表記を「障碍」へ変更すべきという自説の趣旨を述べたうえで、「たしかに、その、まあでもよく考えてみれば、あのう、そんなに大きなドラスティックな変更ではないので、こんな、その、変更に大きなエネルギーかけるよりはもっとやるべきことはいっぱいあるだろうということで、しかも障害を持ってる構成員の皆さんがあんまり乗り気でないということであれば、あのう・・・下ろしてもいいと思いますけど」と少々言いにくそうに発言すると、特に「乗り気でない」のあたりで会場から笑いの声が上がっていた。

ただし念のため付言しておくと、この委員(日本社会事業大学教授の佐藤久夫委員)は冷静で理性的な方だと思った。議論の序盤における同委員の発言では、推進会議で表記を決めて明日から一斉に法令等を改正するのではなく、1年や2年の時間をかけて幅広く議論をし、特に、障害当事者がどのような言葉がいいと願っているかを明らかにする、そうしたプロセスが重要だと述べていた。あえて表記を変更するならばその通りだと思うし、そう考えているからこそ、先のような発言につながったのだろう。

議論の最後に推進会議担当室長が、法律など一般社会における表記と、障害当事者が各々の自己をどう表記するかとは別の問題ではないか、後者の選択の幅を広げる意味で、推進会議として常用漢字表への「碍」の追加を文化審議会に要望するかどうかを、ネットで一般国民を含めて意見募集したうえで再度議論するとし、締めくくっていた。

第2回の会議でも論じられていることとして、日本が批准する予定の国連の条約に合わせた「障害」の定義の見直し、つまり、障害は個人ではなく社会の側にあるのだという意識の転換が重要、というところまでが、表記に関係することで合意が得られている事項である。言葉が何を表わすかという議論をさておいて表記の話をするのは順番が逆だろうし、この会議の趣旨としてはそちらのほうが重要だと私も思うのでここに記しておく。

漢字小委員会が取りうる対応の落としどころ

さて、常用漢字表の趣旨からして、法令などの公用表記で今のところ「障碍」を使用しない見込みで、かつ、たとえ少数でも障害当事者の表記の自由に配慮するならば、以下のいずれかが落としどころなのではと考える。

  1. 「碍」の常用漢字表への追加は見送ったうえで、「障碍(者)」の表記を使用したい一般の個人や法人の自由を妨げるものではない、という注釈なり声明を文化庁なり国語分科会なりが示す。
  2. 「碍」を常用漢字表に追加したうえで、「障害」表記の変更を改定常用漢字表として求めるものではない、という注釈なり声明を文化庁なり国語分科会なりが示す。

1. について、3月24日に開かれた漢字小委員会(第40回)にて配布された『「「改定常用漢字表」に関する試案」の修正について(案)』に、糸口となりうる文言が追加されていた。

上述のように、改定常用漢字表は一般の社会生活における漢字使用の目安となることを目指すものであるから、表に掲げられた漢字だけを用いて文章を書かなければならないという制限的なものではなく、運用に当たって、個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地のあるものである。文脈によって、また、想定される読み手の状況によって、読みにくいと思われるような場合には、表に掲げられている漢字であるか否かを問わず、必要に応じて振り仮名を用いるような配慮をしていくことも考えるべきであろう。

(文化審議会国語分科会漢字小委員会(第40 回)・資料5『「「改定常用漢字表」に関する試案」の修正について(案)』p7 より引用)

目安とは言いつつも漢字制限として一般社会でかなり機能してきた常用漢字表において、「制限的なものではなく」とあえて念押ししている。これはかねてから常用漢字表にあった疑問や批判に応える形で追記されたものであろう。「碍」のみに限った話ではなく、包括的に漢字表の制限色を薄めるというのであれば、より多くの人から歓迎されうる話である。ただし、読めない人はどうするのか、教育の側でどう対応するのかという問題はどうしても残るので、どこまでもバランスの問題となる。「文脈によって~」以下の部分はその点を斟酌(しんしゃく)した記述であろう。

「碍」についても、この記述の延長上で対応可能となる。ただし「障がい者制度改革推進会議」から追加の要望があった場合、政治的配慮として、「障碍(者)」を特に例示した上での注釈なり声明を出す必要はあるのではと考える。(もしかして漢字小委員会はすでに織り込み済み?)

一方、2. を選択して「碍」を常用漢字表に追加した場合、昨年5月の漢字小委員会(第32回)における林副主査の発言が基礎的な考えとなるだろう。

ここのところは共通に理解しておいた方がいいと思うんです。仮に,「しょうがいしゃ」というときにこの「碍」を使えるようにしたとして,この漢字表は「しょうがいしゃ」というときに,これからは「碍」を使ってくださいというところまでは言えない。その字を認めたから,それは新しい漢字表としてそういう文字も使えますよということだけです。だから,習慣的に「害」を,もしどうしても「碍」は使いたくないという団体があったとしても,「碍」を押し付けるわけではないということです。漢字表の文字の出し入れというのはそういう意味であるということは理解をしておく必要があるだろうと思います。

文化審議会国語分科会漢字小委員会(第32回)議事録 p19 の林副主査の発言を引用)

つまりあくまで表記の選択の幅を広げるだけであって、これは「障がい者制度改革推進会議」から今後提出される可能性がある要望と合致している。こちらの線で行く場合、やはり政治的配慮として、表記の変更を改定常用漢字表として求めるものではないということを、「障害(者)」を特に例示した上での注釈なり声明で示す必要はあるのではと考える。それについてはあくまで「障がい者制度改革推進会議」のほうでお願いしますということである。

「障害(者)」表記の歴史の検証における雑感

当ブログではこれまで、「障害(者)」表記の歴史について、以下のような記事を記載した。

当初思っていた以上に多くのリンクやアクセスを頂き、特に小形克宏さんのブログ「もじのなまえ」で、朝日新聞の記事に対する批判の根拠として当ブログ記事を紹介して頂いたのが大きかった。その後(その影響かどうかは分からないが)、少なくともマスメディアのレベルでは、「障害」は戦後の当て字だとか誤用だとかいった説はあまり見かけなくなった。たとえば、1月25日の読売新聞朝刊「編集手帳」では以下のように簡潔かつ正確に説明している。

戦前は「障害」「障碍」「障がい=石へんに疑」の三つの表記が併用されていた。「障碍物競争」と記された運動会のプログラムをご記憶の年配の方もおられることだろう。もっとも、「障害者」という言葉が定着するのは戦後になってからだ。

(読売新聞「編集手帳」1月25日朝刊より引用)

戦前は「障害」「障碍」「障礙」が混用されていたこと、そして、「しょうがいしゃ」は戦後になってから定着した言葉であること、この2点を要素としてきちんと含んでいる。なお、このコラムでは結論として、『「障害者」の表記の選択の幅を広げる意味で、まずは「碍」を常用漢字に加えたとしても、違和感を抱く人はあまりいないだろう。少なくとも「障がい者」よりはいい。』と述べている。正確に歴史を踏まえた上であれば、それはそれぞれの解釈だし、特に言うことはない。

もう一つついでに、小形さんが批判していた記事の書き手である朝日新聞編集委員・白石明彦さんについて、白川さんの昨日(4月5日)の記事では、さすがにしかるべき修正はされていた。

戦前は障害や障碍、障礙(しょうがい)(礙は碍の本字)が妨げの意味で使われた。戦後、碍は当用漢字にも常用漢字にもならず、障害が定着した。ただ、害は負のイメージが強く、最近は「障がい」を使う自治体が増えてきた。政府の「障がい者制度改革推進本部」も表記を見直し始めている。ちなみに日本の障害者に相当する表記は中国が残疾人、台湾が障礙者、韓国が障碍人などだ。

白石明彦『「障害者」か「障碍者」か 「碍(がい)」を常用漢字に追加求め意見』朝日新聞4月5日朝刊より引用)

ただし、この時点で「障がい者制度改革推進本部」側の取材はまだしていないのだろうか?それに、「韓国が障碍人」というのは、公用表記をハングルにほぼ全面移行してしまった現在においては不適切で、「장애인」が公式かつ一般的な表記なのでは?国連の条約「Convention on the Rights of Persons with Disabilities」も「장애인권리협약」と表記されているようだが(http://www.un.org/disabilities/documents/natl/korea.doc を参照)。

当該のブログ記事で小形さんも同趣旨のことを述べていることとして、マスメディアや研究者のような、一般の人々から一定の信頼を得ているはずの立場であれば、事実をきちんと確認してから言論を展開すべきだ。俗説があふれかえるなか、プロであるはずの彼らがその社会的責任を果たしていないことに私はたまたま2年前に気づき、アマチュアなりに「障害(者)」表記の歴史を追究していた。それなりの意味はあったのかなと思っている。

歴史の追究、さらに科学的事実の検証は、主張やイデオロギーに左右されるべきではない。そのことをあらためて強調したい。

それはさておき、主要な歴史の記述においてマスメディアの報道も修正されてきた今、「障害」表記のほうの論点は、歴史よりもこれからの話に移っている。そしてそもそも、先に述べたように、障害者に関する課題は多岐にわたっている。表記のことを追いかけているうちに、そのことをつくづく思い知らされたというのが正直な感想である。そういう意味では、表記が社会の注意を喚起するという主張に、私個人の場合は同意せざるを得ないのかもしれない。ただし、やはりまずは意識が大事であり、プロセスが大事なのだと思う。

・・・もうこんな字数、こんな時刻になってしまった。ひとまず今回はこの辺で。

2010年1月16日

Android携帯(HT-03A)搭載フォントは JIS X 0213 未対応

先月(2009年12月)に、Android 携帯の HT-03A (台湾の HTC 製) を購入した。今のところ(開発用機器を除くと)日本で唯一の Android 携帯なのだが、本体価格は投げ売り状態で、池袋の量販店では0円か1円かという有様だった。また、昨年末から NTT ドコモが、スマートフォン向けのキャンペーンや新料金プランを相次いで実施している(特に「タイプシンプル バリュー」は店員が案内しない場合もあるので要チェック)。他に乗り換えるなどして全然使わなくなっても、不要なオプション、保険、さらにパケット定額対象のプロバイダ契約も止めれば、月々の支払いを800円以下に抑えられる。2年後の契約切れまで使い切らなくてもさほど負担にはならないと思い、購入に至った。いろんな機能を試したり、Android アプリケーション作成に挑戦してみたり、まあそれなりに楽しめるオモチャである。

そしてついつい、改定常用漢字表対応も試してしまった。

Androidアプリケーションの表示画面

この結果は Android アプリケーションとしての出力だが、同様の文字列の Web ページをブラウザで表示させても同様だった。改定常用漢字表(試案)の中で、旧来の環境では特に問題が生じる字体「塡」「剝」「頰」「𠮟」のうち、やはり「𠮟」(くちへんに「七」)だけは表示されない、ということだ。

ただし、Android プラットフォームとしては Unicode の4バイト領域を処理できていて、Android 用の日本語フォントが「𠮟」(くちへんに「七」)に未対応なため、このような表示となっているのではないかと予想する。Android の C/C++ ではワイド文字型の wchar_t が4バイトなのだそうで、Google Groupのandroid-ndkでも驚きを伴う話題になっていたようだ。今後 Google はそれをサポートせず、代わりに ICU (International Components for Unicode) を使用するとのことである(日本Androidの会でのTetsuyuki Kobayashi さんの投稿より)。この ICU はもちろん Unicode の4バイト領域を処理できるコンポーネントである。

Android のフォントについて検索してみると、mashabow さんという方のブログ記事「16000字超の漢字と11000字超のハングルが入った軽量CJKフォント Droid Sans Fallback」を見つけた。Android 用のフォントは Ascender Corporation が開発、提供していて、この記事が書かれた2009年2月時点では Droid Sans Fallback (DroidSansFallback.ttf) というフォントで日本語がサポートされていた。しかしその漢字サポートの範囲は、"GB2312, Big 5, JIS 0208 and KSC 5601" (2007年11月の同社のプレスリリース "Ascender creates the new Droid font collection for Open Handset Alliance's Android platform" より) であって、中国語や韓国語も表示可能な一方で、JIS X 0213 は未対応ということになる。

そして、旧来の文字コード(JIS X 0208)と Unicode とのマッピングで問題となる漢字が先の4字(「塡」「剝」「頰」「𠮟」)なのだが、Unihan Database Lookup によると、「塡」は韓国語(KSC 5601、現在の KS X 1001)、「剝」「頰」は韓国語と繁体字中国語(Big 5)で対応しており、残るは結局「𠮟」(くちへんに「七」)ということになる。それゆえ先の写真で示したような状況となっていると推測する。

なお mashabow さんの記事では「もちろん、ひらがな・カタカナもちゃんと収録されているが、デザインが若干ぎこちない。おそらくは華康ゴシック体のかなと同じもの。また、漢字の筆画処理が大陸風なので、日本語の表示には難があるかもしれない。」としているが、現在では Droid Sans Japanese (DroidSansJapanese.ttf) という日本語向けフォントが用意されている。Android 開発環境(Android SDK)を確認してみると、Android 1.5 と 2.0 には含まれていないが、Android 1.6、2.0.1 と 2.1 には搭載されている。購入時は Android 1.5 を搭載している HT-03A でも日本語向けフォントぐらいは先行搭載していただろうし、購入後すぐに 1.6 (2009年10月配信開始)へのアップデートが起動するので、いずれにせよ現在では日本語風の書体を利用できる。今年相次いで発売される予定の Android 携帯は、おそらくその点については心配ないだろう。

とはいえ、つい数日前にリリースされた最新の Android 2.1 でも、DroidSansJapanese.ttf のファイルサイズ(1,173,140 バイト)に変化はない。Android SDK のエミュレータ (AVD) で先のアプリケーションをテストしても結果は変わらなかった。安岡孝一さんのブログ記事「【改定常用漢字表試案への意見】テンプレート」で列挙されている漢字に対象を拡大し、エミュレータ上でテストした結果は、下のような感じである。

Androidエミュレータ上のテスト結果

他の携帯電話や Windows XP ともまた違う結果なのだが、要するに JIS X 0213 にはまだ対応していない。今月 Google が発売した Nexus One (Android 2.1 搭載)でもおそらく同様で、「𠮟」(くちへんに「七」)は表示できないだろう。ソニーエリクソン、シャープ、NEC 等、日本のメーカーが今年発売予定の Android 携帯は、果たしてどうだろうか?

2009年12月15日

MySQLの改定常用漢字表対応が危うい件

今年の1月の記事「MySQL 6.0 の Unicode 4バイト対応と新常用漢字」では、アルファ版ではあるものの MySQL 6.0 ならば Unicode の4バイト領域に対応しており、たとえ常用漢字として「叱」ではなく「𠮟」(口へんに七、U+20B9F)が追加されても MySQL としては対応可能だということを書いた。

ところが、その MySQL 6.0 は、今年5月の 6.0.11-alpha を最後に、開発を凍結してしまったそうだ。Sun Microsystems の奥野幹也さんのブログ記事「Good Bye MySQL 6.0」にいまさらながら気付いた。開発リソースを 5.x に集約するのが目的らしく、現在ベータ版の MySQL 5.4 には MySQL 6.0 の新機能がいくつか取り込まれているとのことである。だがしかし、5.4 に入っていない主な機能として、そのものずばり、「4バイトUTF-8」が挙げられていた。

MySQL の現在の正式バージョンは 5.1 であり、今年1月から変化していない。その次は 5.4、さらにその次は 5.5 となるそうで、MySQL のサイトを見た限りでは、5.5 はまだアルファ版の配布にも至っていない段階である。

一応 MySQL 5.4 と 5.5 のドキュメントを確認してみたが、やはり 5.5 でも今のところ対応の予定は無さそうに見える。

MySQL 5.5 supports two character sets for storing Unicode data:

  • ucs2, the UCS-2 encoding of the Unicode character set using 16 bits per character
  • utf8, a UTF-8 encoding of the Unicode character set using one to three bytes per character

These two character sets support the characters from the Basic Multilingual Plane (BMP) of Unicode Version 3.0. BMP characters have these characteristics:

  • Their code values are between 0 and 65535 (or U+0000 .. U+FFFF)
  • They can be encoded with a fixed 16-bit word, as in ucs2
  • They can be encoded with 8, 16, or 24 bits, as in utf8
  • They are sufficient for almost all characters in major languages

The ucs2 and utf8 character sets do not support supplementary characters that lie outside the BMP.

(MySQL 5.5 Reference Manual :: 9.1.10 Unicode Support より引用)

これはマズイのではないか。何とかしてください、MySQL 様、Sun Microsystems 様・・・あれ、Oracle 様でしたっけ。ちなみに、Sun の奥野さんには一度お会いしたことがある。たぶん私のことは忘れていると思うけど(苦笑)。

やっぱり、安岡孝一さんが呼びかけているように、改定常用漢字表試案のパブコメで訴えるべきなのだろう。でも、ここまでの漢字小委員会の様子を見る限り、「情報化社会の進展」を改定の動機に挙げておきながら、文字コード関係の専門家は委員会に見当たらないし、1回目のパブコメに対するフィードバック(字種の追加希望に対する可否の理由の説明など)を出すようなことを審議中に言っておきながら、結局は出さずじまいである。それに、「裁判員制度」「18歳成人」や「障がい者制度改革推進本部」など、常用の語彙を民主的に決めてから常用漢字の話をしたほうが良いのではと思えるような施策も出現している。そんな中での2回目のパブコメ募集には、それ自体についていろいろ思うところがある。どうしようかなあ。

2009年3月 1日

明治の法令にも「障害」の用例あり…むしろ「障碍者」こそ新語

昨年のブログ記事『「障害」は本当に「障碍」「障礙」の当て字なのか?』では、青空文庫における戦前の用例などを元に、「障害」は戦後の当て字ではないと結論付け、戦前に遡っても「障害」が「障碍(礙)」の当て字かどうかは判然としないことを述べた。今回の記事はその続編として、明治の法令における「障害」の用例を示して結論の根拠を補強し、同時に、『戦前は「障害者」ではなく「障碍者」だった』という説にも疑義を唱えておきたい。

明治25年の勅令に「障害」が登場

明治以降の法令をどうやって調査すればよいのか、正直言って素人の私はかなり戸惑った。国立国会図書館「日本法令索引」で法令を検索できるものの、この検索サービスは法令の目録や沿革のみを対象としており、本文までは参照できない。ただ、国立国会図書館の別のページでは法令資料の道案内がなされており、これで一通りの状況は把握できた。

試行錯誤した結果、目録の検索は「日本法令索引」、本文の検索は民間の「中野文庫」(すべての法令は網羅していないが)を調査に利用した。電子化する際の転記ミス等もあり得ると思い、原本の画像を、国立国会図書館・近代デジタルライブラリーの「法令全書 慶応3年10月-明治45年7月」にて適宜確認した。

「日本法令索引」にて「障害」で検索すると、明治25年の勅令における「障害」の用例があっさり見つかった。原本の画像も確認した。


府県立師範学校公立中学校ノ学校長正教員舎監書記及市町村立小学校正教員ノ退隠料遺族扶助料ニ関スル権利ノ障害出訴方 (明治25年 4月 4日勅令第32号)
(画像は「法令全書[第41冊]明治25年」索引p97より引用、文字表記は日本法令索引の検索結果より新字のまま引用)

なお、昭和20年8月15日まで(戦前)の目録の検索結果としては、「障害」はこの勅令(とその改正)のみ、「障碍」「障礙」はいずれも0件であった。

明治の法令に身体障害を指す「障害」「障礙」が混用されて登場

さらに、目録だけではなく、本文まで対象として「中野文庫」で検索した。Google にて「site:www.geocities.jp/nakanolib/ 障害」とキーワード指定するなどしてサイト内検索すると、「障害」「障碍」「障礙」のいずれも、戦前の用例がいくつか見つかる。

なかでも、身体あるいは精神の障害を指す用例が、すでに明治の法令にも存在していることが分かった。


第三条 笞刑ノ執行中受刑者ノ心神又ハ身体ニ著シキ障害アリト認ムルトキハ之ヲ停止シ必要ナル場合ニ於テハ第一条ノ手続ヲ為スヘシ
(画像は「法令全書[第137冊]明治45年」府令p195より引用、文字表記は「朝鮮笞刑令施行規則(明治45年朝鮮総督府令第32号)」中野文庫収録より引用)

ただし、この施行規則のもととなった朝鮮総督府令では、「障礙」のほうを使用していて、不統一となっている。

第十条 検事又ハ即決官署ノ長ハ受刑者ノ心神又ハ身体ノ障礙ニ因リ笞刑ヲ執行スルニ適当ナラスト認ムルトキハ三月以内執行ヲ猶予スルコトヲ得猶予三月ヲ超エ猶笞刑ヲ執行スルニ適当ナラスト認ムルトキハ其ノ執行ヲ免ス
「朝鮮笞刑令(明治45年制令第13号)」中野文庫収録より引用)

中野文庫で検索した限りでは上記の二つが、身体または精神の障害を指す、法令における最初の「しょうがい」の用例である。これらは同じ明治45(1912)年の同じ趣旨の府令と施行規則であり、「障害」と「障礙(碍)」を混用している様子がはっきりと見て取れる。

ちなみに、Wikipedia日本語版「障害」では、丸山一郎さんという方の主張を引用しつつ、以下のように注釈している。

しかし丸山一郎によれば、すでに1932(昭和7)年施行の「救護法」において「精神又は身体的障碍のある者」といった表現が使われており、こうした意味の語として「障害」よりも先に「障碍」が使われていたことは間違いがないという。とはいえ、少なくとも医学分野では、たとえば「栄養障害」は「栄養障碍」とともに明治期より用例があり、両者は混用されていた。
Wikipedia日本語版「障害」(2009年2月28日閲覧)より引用)

医学分野ではどうなのかは把握していないが、少なくとも昭和の法律を根拠とする丸山一郎さんの言説は誤り(調査不足)と断言できる。

結局のところ、「青空文庫」の文学作品集だけでなく、明治以降の戦前の法令でも「障害」「障碍」「障礙」は混用されていたとみられる。そして、「戦後の当て字」説はやはり根拠の無い話だというほかない。

「障碍者」は戦前ではなく現代の新語

「青空文庫」や「中野文庫」の調査において、「障害」「障碍」だけでなく、「障害者」「障碍(障礙)者」も同時に検索していた。しかし、「青空文庫」においては、かろうじて「障害者」は1名の作家(海野十三)の新字収録作品が若干見つかるだけで、「障碍者」「障礙者」は見つからなかった。「中野文庫」においては、「障害者」「障碍(障礙)者」のいずれも用例を見つけられなかった。

つまり、文学作品においても、法令においても、「しょうがいしゃ」という戦前の用例はほとんど皆無である。『戦前は「障害者」ではなく「障碍者」だった』という俗説の根拠を、少なくとも私が調査した範囲の用例からは見つけられなかった。

では昔はどのような言葉を使用していたのか。法令における用語の変更は、もちろん法令の改正として確認可能である。少々検索してみたところ、ひとまず以下の4件の法令を見つけた。

かなり最近まで断続的に改正が積み重なっているようだ。「障害」「障害者」等のことを昔の法令では何と呼んでいたか、これらの法律から確認できる。改正前と改正後の主な例を、以下表にまとめておく。

改正前の例 改正後の例
「廃疾」 「障害」「疾病」
「不具」 「身体の障害」
「不具廃疾」 「重度障害」「心身障害」
「不具廃疾ニ因リ労働能力ナキ」 「一級又ハ二級ノ障害ノ状態ニ在ル」(船員保険法)
(現在は「其ノ当時政令ヲ以テ定ムル障害等級ニ該当スル程度ノ障害ノ状態ニ在ル」)
「不具奇形の」 「身体に障害又は形態上の異常がある」
「不具者」 「障害者」
「不具廃疾者」 「重度心身障害者」
「めくら」 「失明者」(地方税法)
「つんぼ、おし又は盲の者」 「目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者」
(現在は「心身の障害により業務を適正に行うことができない者」等に一般化)
「白痴者」 「精神薄弱者」(現在は「知的障害者」)
「精神薄弱者」 「知的障害者」

つまり、「不具者」とか「めくら」とか「つんぼ」とか「白痴者」とか、現代では差別用語とされている呼び方を昔は広く使用していたわけで、そうした表現を是正するために、「障害」「障害者」という用語を戦後導入したわけである。そして、法令の中でさえ、その普及、徹底には長い年月が費やされてきた。

繰り返すが、「障害者」にせよ「障碍(障礙)者」にせよ、戦前の法令には見当たらず、「障害」「障碍(障礙)」にしても、身体障害を指す用語としては一部の法令にしか登場しない。上の表にあるような、現代では差別用語とされている改正前の表現が法令でも主流だったというのが実際のところである。「しょうがいしゃ」は戦後の法令から定着した新語ととらえるべきであり、「障害者」こそが本来の漢字表記ではあるまいか。それは身体障害を指す「しょうがい」についてもおおむね当てはまるだろう。

近々パブリックコメントの募集が始まる新常用漢字表案に、「障害」「障害者」さらには「障がい」「障がい者」という表記を避けるために、「碍」を追加すべきという議論がちらほら聞かれる。ただし、「障碍」はまだしも、「障碍者」を広く導入しようとするならば、それは21世紀の新語である。その是非については、ここでは述べない。しかし、『戦前は「障害(者)」ではなく「障碍(者)」だった』という説を根拠とした主張は、できるだけ史実に忠実であろうとする立場からすれば、失当であると言わざるを得ない。

2008年3月30日

「障害」は本当に「障碍」「障礙」の当て字なのか?

確実に言えることをひとまず結論として述べると、「障害」は、戦後の当用漢字制定以降に作られた当て字ではない。現時点のWikipediaに以下のように記されているとおりである。

「障害」、「障礙」はいずれも当用漢字制定前から同じ”さわり・妨げ”という意味の熟語として漢和辞典に掲載されており、「障害」という表記は「礙」を同音の「害」に単純に置き換えて戦後に造語されたものではない。ただし現在のような“身体の器官や能力に不十分な点があること”という特定の意味ができたのは後年である。なお、「碍」は「礙」の俗字であるため「障碍」を掲載しない漢和辞典もある。

(Wikipedia日本語版「障害者」(2008年3月22日 (土) 1324 の版))

目次:

  • 背景
  • 戦前・戦中・戦後の国語施策における「害」「碍」「礙」
  • 辞典における「障害」「障碍」「障礙」
  • 青空文庫における用例
  • まとめ

法令を対象とした追加調査などの続編あり(2009年3月1日追記)

背景

最近、「障害者」という表記を、法令用語等を除いて「障がい者」に書き換える動きがいくつかの自治体に見られる。2001年に東京都多摩市が「障がい者」を導入したのが早期の事例として知られているようである。報道等によると、都道府県レベルでも2004年の福島県をはじめとして現時点で7道県(福島、北海道、大分、山形、三重、宮崎、熊本)に導入されている。さらに来月からは岩手県も導入するそうである。

「害」という文字に否定的な意味があり、「障がい者」に不快感を与え、人権尊重の立場からも好ましくない、というのが書き換えの主な理由である。「(周りにとって)障害になる者」という意味ではないことを明確にするために「障害のある方」という言い換えもあるそうだが、これについても多摩市の場合は「障がいのある方」とするそうである。それらに対して、そうした交ぜ書きは日本語の美しさを損ねる、あるいは、表現の問題は本質ではなく、「障害者」に関する諸問題の解消にはつながらない、といった反対論も聞かれる。

それらについての賛否は、ここでは述べない。ただ、気になる点が一つあった。

賛成、反対を問わず聞こえてくる言説として、「障害」は本来、「障碍」「障礙」(読みはいずれも「しょうがい」)と表記していた、というものがある。「障害 障碍」でGoogle検索してみると、「障害」は戦後の当用漢字による漢字制限がもたらした当て字(宛字)であるという主張を展開しているWebページが検索上位に表示される。たとえば以下のようなページがある。

 さて、「障害」という単語もこの「書き換え」による産物であります。 この単語は本来は「障碍(障礙)」(「礙」は「碍」の正字)と表記されるべきものです。 「障」「碍(礙)」ともに「さしつかえる」という意味の単語で、何かことを行うときにさしつかえてしまうことを指します。 (なお、このように同じ様な意味の漢字を二つ並べて熟語を作る例は漢語には多く見られます。 例えば「咽喉」という単語の「咽」「喉」はともに「のど」を意味します。) ところがこれら二つ重なった自動詞「さしつかえる」のうちの一つ即ち「碍(礙)」の方が当用漢字表からもれてしまったため、「書き換え」が行われました。 つまり、「碍(礙)」と同じ音の「害」が当てられたのです。 (なぜこの漢字が書き換えに用いられたかはまだ私は確認しておりませんが、恐らくは「傷害」という単語からのアナロジーであったと推測しています。)

(熊田政信, 「「障害」は「障碍」(「障礙」)と表記すべきである」, 国立身体障害者リハビリテーションセンター「国リハニュース」第226号, 2002年8月.)
 さてそもそも、「障害」という言葉は、かつては「障礙」とか「障碍」と書いていた。しかし戦後の漢字制限で「礙」「碍」の漢字が表外漢字になってしまったため、「害」という漢字を宛てて「障害」と書くことが広まったのである。
 “「害」という漢字は障害者が他の人に何か害を与えるみたいで不穏当だ”と主張する人が一部にいるが、それは戦後の国語審議会や「障害」の宛字を発明した人に文句を言って欲しい。

(Kan-chan, 「障害 伝統的には「障礙」「障碍」と書くのが正しい」, 2008年2月23日閲覧.)

国語辞典や漢字使い分け解説書にも、本来は「障碍」、と記述しているものがある。

しょうがい【障害】 (本来の用字は、「障碍」。「碍」もさしつかえるの意)
(途中省略)
[表現] 「障礙」とも書く。

(三省堂, 「新明解国語辞典 第六版」, 2005年.)
(「障害」の項目において)
本来は表外字で「障碍」と書き、まれに「障礙」とも書く。

(中村明, 「漢字を正しく使い分ける辞典」, 集英社, 2006年.)

三省堂の売れ筋の国語辞典にも、日本語研究者で早稲田大学名誉教授である中村明さんにも、国立機関の耳鼻咽喉(いんこう)科医の熊田政信さんにも、その他あちこちでそう言われたら、普通はそのまま信じるところだ。「障害者」という表記に否定的な人には「戦後の国語審議会や「障害」の宛字を発明した人に文句を言って欲しい」ということになるのかもしれない。

しかし、この件について興味を持って調べ始めたときに、冒頭で引用したWikipediaの記述(これもGoogle検索の上位)に出くわした。履歴を確認すると、2007年1月に「諸星団」さんという方が記述を変更していることがわかる。それまでのWikipediaの記述はこれまた「戦後の当て字」説であったが、それを訂正する編集が施されている。「諸星団」さんの利用者ページを見ると、「障害」について諸橋大漢和まで引いて確認していたこともわかる。一般論としては、どこの誰が編集したのか知れないWikipediaの信頼度は相対的に低い。しかし、時々その逆の場合もあり、当該の件についてはこちらが正確なのではないかという気がしていた。

私は専門家ではないが、いろいろ思うところもあり、できる範囲で調べてみることにした。

戦前・戦中・戦後の国語施策における「害」「碍」「礙」

過去の日本の国語施策については、文化庁「国語施策情報システム」で資料を入手できる。以下、確認した資料の概要と「害」「碍」「礙」の有無を列挙する。

  • 文部省普通学務局国語調査室, 「漢字整理案」, 1919(大正8)年12月.
    尋常小学校の教科書に使用する漢字について、字形を整理し標準を定めたもの。字数は2600あまり。
    「害」は整理案に記載有り。「碍」「礙」は記載無し。
  • 臨時国語調査会, 「常用漢字表」, 1931(昭和6)年6月.
    臨時国語調査会が1923(大正12)年に発表した常用漢字表を修正したもの。この表の趣旨は、漢字制限の立場から国民教育及び国民生活における漢字の負担を軽減しようとするものであった。固有名詞以外でこの表にない漢字は仮名で書くこととしていた。字数は1858字。新聞などでは、この常用漢字表による漢字制限を多少の加減の上で実行を宣言していた。
    「害」は漢字表に記載有り。「碍」「礙」は記載無し。
  • 国語審議会, 「標準漢字表」, 1942(昭和17)年6月.
    「近来わが国において漢字が無制限に使用され、社会生活上少なからぬ不便がある」(原文より新字新仮名で引用)という認識から、これを整理統制して、各官庁及び一般社会において使用する漢字の標準を示したもの。1942年12月には三つの区分をなくし字数を2669字に改め内閣申し合わせを行った。政府の施策として最初の漢字制限となったが実行されなかった。
    「害」は常用漢字、「碍」は準常用漢字、「礙」は特別漢字として漢字表に記載有り。
    • 常用漢字(国民の日常生活に関係が深く一般の使用度が高い1134字)
    • 準常用漢字(常用漢字に比べ、日常生活に関係が薄く一般の使用度も低い1320字)
    • 特別漢字(皇室典範、帝国憲法、歴代天皇の追号、教科書に掲載する詔勅などの、天皇に関係する文字で、前記以外の74字)
  • 国語審議会, 「当用漢字表」, 1946(昭和21)年11月.
    法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で、使用する漢字の範囲を示したもの。国民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだもの。標準漢字表(1942年6月)の常用漢字を審議の基礎としていた。固有名詞については別に考えることとした。審議会答申の直後(1946年11月)に内閣告示・訓令で公布。字数は1850字。
    「害」は漢字表に記載有り。「碍」「礙」は記載無し。
  • 国語審議会, 「同音の漢字による書きかえ」, 1956(昭和31)年7月.
    (原文より引用)「当用漢字の使用を円滑にするため,当用漢字表以外の漢字を含んで構成されている漢語を処理する方法の一つとして,表中同音の別の漢字に書きかえることが考えられる。ここには,その書きかえが妥当であると認め,広く社会に用いられることを希望するものを示した。」案として審議会が文部大臣に報告。
    「障碍→障害(法令用語改正例として)」、「妨碍→妨害」の記載有り。
    なお、書き換えについては、国語審議会では以下の5分類にて整理、検討していた。
    1. 同じ字源か,または正俗同字のもの(廻転→回転 など)
    2. 音通のもの(史蹟→史跡 など)
    3. 同じ意味か,または似た意味の語を借りたもの(聯合→連合 など)
    4. 新しく造語したもの(慰藉料→慰謝料 など)
    5. 単に音を借りたもの(庖丁→包丁 など)
    (「障碍→障害」という書き換えをどれに分類しているかについては、記載している公式文書をWeb上では見つけることができなかった。)

まず、戦前・戦中にも戦後の当用漢字と同じような漢字制限が試みられていたことに驚く人もいると思う。漢字の廃止をアメリカ(GHQ)が提言したのは割と知られているが、そもそも日本国内でも明治維新以来、脱亜入欧思想などのため、漢字の廃止・制限の動きは一定の勢力を持っていた。新聞などは、印刷コストを削減したい事情もあって、1923年に発表された常用漢字表の実施に積極的だった過去を持つ。1942年の標準漢字表は、日本軍が占領した地域での日本語教育を容易にする目的もあった。そして4年後、GHQ占領下の日本の当用漢字表は、その標準漢字表中の常用漢字を審議の基礎とした。漢字存続論にも妥協して出来上がった当用漢字表(1850字)は、結局のところ1931年の常用漢字表(1858字)とほぼ同じ字数となっている。

漢字制限の歴史については、たとえば旧・文部省「学制百年史」第一編第五章第三節二Wikipedia日本語版「漢字廃止論」に概略が記されている。先述の文化庁「国語施策情報システム」には国語施策年表が掲載されている。

さて、「碍」「礙」という字は、戦前・戦中でもさほど使用度や重要度の高い漢字ではなかったことが伺える。それぞれの漢字表の字数と、「碍」の有無とを照らし合わせると、使用度や重要度の順位で言えば「碍」はせいぜい2000位以下だったのではないかと推測する。それに、尋常小学校(当時は義務教育6年制)のレベルで登場しないようだと、読み書きできない人が相当いたのではないか。

そんななか、1942年の標準漢字表にて「礙」が特別漢字(天皇に関係する文字)に選出された理由として、米英に対する宣戦の詔書(1941年12月8日)に「障礙(シヨウガイ)」が含まれているのを松山大学法学部長の田村譲さんのページで見つけた(もちろん、その「障礙」というのは、身体の器官や能力についてのことではなく、米英両国のことである)。「璽」「嵯」「峨」など、いかにもという特別漢字とは違って、「礙」はたまたま標準漢字表に拾われた漢字であろう。

1956年の「同音の漢字による書きかえ」では、「障碍→障害」が法令用語の書き換え例として示されている。1947年の児童福祉法には「障害児」という用語が登場し、1949年には身体障害者福祉法が制定されている。これらを踏まえた書き換えの例示であろう。

なお、「同音の漢字による書きかえ」における書き換えの例示は、なにも当用漢字表制定後の造語や当て字ばかりではなく、元来存在していた同じ字源や意味の熟語をいずれか一方に統一したものもあるので、誤解しないように留意する必要がある。

辞典における「障害」「障碍」「障礙」

以下、いくつか調べてみた漢和辞典などの記述を、表形式にして整理する。ちなみに、諸橋大漢和は、再開発の進む東池袋に昨年移転した豊島区立中央図書館にて閲覧した。今回ほど住民税を払ったかいがあったと思ったことはない(苦笑)。

  辞典名 辞典の著者・編者
出版社
発行年など
当該の記述
(漢字表記は【 】、読み仮名はその後ろに記す。用例は省略。)
諸橋大漢和 大漢和辞典 修訂第2版(全15巻) 諸橋轍次
大修館書店
1989~1990年(初版1955~1960年、全13巻)
【障害】(シヤウガイ) さはり。さまたげ。邪魔。又、其の物。障礙。

【障礙】(シヤウガイ) さまたげ。さはり。邪魔。障碍。
初版が戦前の漢和辞典 修訂増補 詳解漢和大字典
服部宇之吉・小柳司気太
冨山房
1952年(初版1916年)
(1998年第128刷を調査)
【障害】(しょうがい) さしさはり、さまたげ。

【障碍・障礙】(しょうがい・しょうげ) さまたげ、邪魔。
新修漢和大字典 増補版 小柳司気太
博友社
1953年(初版1932年)
(2007年第45刷を調査)
【障害】(シヤウガイ) さはり、さまたげ、邪魔。又其の物。

【障碍】(シヤウガイ) 障害に同じ。

【障礙】(シヤウガイ) 障害に同じ。
学習用漢和辞典 新漢語林 鎌田正・米山寅太郎
大修館書店
2004年
【障害】(ショウガイ) ①さまたげ。また、その物。 ②心身の機能が正常に働かないこと

【障碍・障礙】(ショウガイ) ①さまたげ。また、その物。
漢字源 改訂第四版 藤堂明保・松本昭・竹田晃・加納喜光
学研
2007年(初版1988年)
【障害 {碍}】 [障礙](ショウガイ) 物事をするとき、じゃまになる事柄。さまたげ。じゃま物。
(凡例によると、{碍}は「同音の漢字による書きかえ」の対象、[障礙]は同じ意味の熟語。)
国語辞典 広辞苑 第五版 新村出
岩波書店
1998年(初版1955年、第六版2008年)
【障害・障碍】(しょうがい) ①さわり。さまたげ。じゃま。 ②身体器官に何らかのさわりがあって機能を果たさないこと。 ③障害競走・障害物競走の略。

【障礙・障碍】しょうげ) さまたげ。さわり。障害。
新明解国語辞典 第五版 山田忠雄・柴田武・酒井憲二・倉持保男・山田明雄
三省堂
1997年(初版1972年、第六版2005年)
【障害】(しょうがい) (もとの用字は、「障碍」。「碍」もさしつかえる意) ①正常な運営やスムースな進行をさえぎりとどめるもの。 ②ハードル。 ③〔←障害物競走〕〔陸上競技や競馬で〕定められた距離の途中に障害物を置き、それを飛び越して走る競走。
[表記] 「障礙」とも書く。

【障碍】しょうげ) 「障害」の意の古語的表現。
[表記] もとの用字は、「障礙」。
古語辞典 (確認したいくつかの古語辞典) 【障礙・障碍】しょうげ(しやうげ)) (さまたげ、さわりの意味を定義)

なお、冒頭のWikipediaからの引用にあるように、「碍」は「礙」の俗字であり、この点について漢和辞典の記述に差異は見られなかった。

諸橋大漢和や戦前に初版の漢和辞典では、「しょうがい(シヤウガイ)」という読み仮名に対して、「障害」「障礙(碍)」あるいは「障害」「障碍」「障礙」という複数の見出し語を記し、その上で同じ意味を定義している。身体障害の意味は見られない。なお、「障礙(碍)」の古語的読み仮名である「しょうげ」は記載していない漢和辞典が多い。

古語辞典にさかのぼれば、それらの熟語の読み仮名としては「しょうがい」は存在せず、「しょうげ(しやうげ)」のみ記載されている。そして「障害(しょうがい)」は記載されていない。

一方で、最近の漢和辞典や国語辞典ではまちまちである。「障害」の本来の用字は「障碍」だと言い切る辞典(新明解国語辞典)もあれば、「障害(しょうがい)」に身体障害の意味を追加して区別する辞典(新漢語林、広辞苑)もある。広辞苑は現代語と古語が同居していることもあっていまいち理解しづらい状態になっている。

確実に言えるのは、当用漢字表に基づく「同音の漢字による書きかえ」以前から「障害」(しょうがい)は辞書に存在し、そのころは「障害」にせよ「障礙(碍)」(しょうがい)にせよ身体障害を指す特定の辞書的意味はなく、一方で古語辞典には「障礙(碍)」(しょうげ)のみ存在している、ということである。「本来は~」「かつては~」「そもそも~」ということを言うなら、少なくともいつの時代の話なのかは明示すべきだということになる。

青空文庫における用例

でははたして、「障礙(碍)」を「しょうがい」と読むようになったのはいつで、「障害」が登場したのはいつなのだろうか?「戦後に書き換え」説は否定されたとしても、この疑問は依然として残っている。『もとの用字は、「障礙(碍)」』という新明解国語辞典などの記述は、戦前にさかのぼれば正しいのだろうか?

著作権が切れた小説等を電子化して無料で掲載しているコミュニティサイト「青空文庫」にて、用例をGoogle検索してみた(今年2月初旬に調査)。Googleの検索が完全というわけではないだろうし、素人の目視で用例を確認したので見落とし、見間違いもあるかも知れないことを先に断っておく。

検索して調査した結果には、新字新仮名の底本を電子化に使用しているものや、電子化の際に新字新仮名へ変更したものもある。それらを除外し、旧字で収録されている作品のみを対象とした。新字で収録されている作品の場合、「障礙(碍)」を「障害」に書き換えたのか、それとも元から「障害」なのか、区別がつかないためである。なお、発表年について青空文庫に記載がないものがあり、それらについては他の情報を適宜参考にした。

発表年 作品名・作者 用例(各一例ずつ引用)
「障害」: 6人、7作品(明治…4、大正…2、昭和…1)
1901(明治34) 高山樗牛「美的生活を論ず」 善事を行はむとする際の内心の障害は即ち惡念也。
1903(明治36) 長塚節「撃劍興行」 若物もさすがに受けには受けたが強力の竹刀は障害のあるにも拘らず相手の頭上を手痛く打ち据ゑるのである、
1908(明治41) 石川啄木「菊池君」 其企てが又、今の樣に何の障害(さわり)なしに行はれる事が無いので、
1912(明治45) 長塚節「土」 霙(みぞれ)や雪(ゆき)や雨(あめ)が時(とき)として彼等(かれら)の勞働(らうどう)に怖(おそ)るべき障害(しやうがい)を與(あた)へて
1922(大正11) 横光利一「榛名」 私は日に日に都會に集つてゐる敏感な人間が、肉體に備へられた自身の完全な防音器のために、却つて一層聾のやうになり始め、その逆に鈍感な肉體が、不完全な防音器官の障害で一層物音に敏感になつてゐる近ごろの變異な徴候を、今この身に滲み渡る休息の靜けさの中から新鮮に感じて來た。
1926(大正15) 若杉鳥子「梁上の足」 あらゆる障害物を飛び踰えて、
1932(昭和7) 水野仙子「嘘をつく日」 かくして私もある日は部屋に閉ぢて、しづかにその障害の去るのを待ちつつ横(よこたは)るのである。それは大抵わづかではあるが、熱とそれから胸部のいたみとのためであつた。
「障碍」: 11人、13作品(明治…2、大正…4、昭和…7)
1900(明治33) 木下尚江「佐野だより」 余はかねてより我が國運の障碍と思ひければ、
1902(明治35) ハンス・クリスチアン・アンデルセン(森鴎外訳)「即興詩人」 今年中はいかなる惡魔の障碍をも免るゝならん。
1913(大正2) 桑原隲藏「東洋史上より觀たる明治時代の發展」 支那と日本と長い通交の割合に、彼此往復した國際文書の多くなかつたのは、かかる障碍があつた結果とも見るべきである。
1913(大正2) 桑原隲藏「支那人辮髮の歴史」 清軍の南方經略に一時尠からざる障碍を與へた事件
1920頃?
底本は1942(昭和17)
エム・ケー・ガンヂー(福永渙訳)「スワデシの誓」 かかる大なる目的は、困難を伴はずには達せられないし、當然その途中に障碍があるのだ。
1922(大正11) エム・ケー・ガンヂー(福永渙訳)「非暴力」 當然の歸結として非協同を伴ふところの非暴力か、妥協的な協同――即ち障碍を伴ふ協同への復歸か、
1927(昭和2) 小林多喜二「防雪林」 全く何も障碍物のない平野に出てしまつた頃、
1929(昭和4) 平林初之輔「政治的價値と藝術的價値」 一時文學そのものの發達には、多少の障碍となつても、階級對立を絶滅することを欲するからである。
1932(昭和7) 長岡半太郎「物理學革新の一つの尖端」 多少の波瀾を交へて徐々に進歩して來た物理學は、前世紀の末ごろ大なる障碍に逢うて、
1937(昭和12) 蒲原有明「詩の將來について」 自由詩の障碍は最初からその脚下にあつたのである。
1942(昭和17)没、生前未発表 中島敦「河馬」 障碍(ハードル)も容易(やす)く越ゆべし汝が脚の逞しくして長きを見れば
1943(昭和18) 波多野精一「時と永遠」 直接性において他者と交はる主體、他者に對してただまつしぐらに自己を主張する主體にとつては、他者は障碍と反抗とを意味する外はない。
1946(昭和21) 仁科芳雄「日本再建と科學」 世界人類發達の障碍となるものとして避くべきことといはねばならぬ.
「障礙」: 3人、3作品(明治…2、大正…1)
1891(明治24) 大槻文彦「ことばのうみのおくがき」 さるに、此事業、いかなる運にか、初より終まで、つねに障礙にのみあひて、ひとつも豫算のごとくなることあたはず、
1909(明治42) 長塚節「旅の日記」 然し峠といふ天然の一大障礙は
1914~1922(大正11)訳 アリギエリ・ダンテ(山川丙三郎訳)「神曲」 ひとりの尊き淑女天にあり、わが汝を遣はすにいたれるこの障礙(しやうげ)のおこれるをあはれみて天上の嚴(おごそか)なる審判(さばき)を抂ぐ 九四―九六

これだけでは断言はできないかもしれないが、遅くとも明治後期には「障害」を使用していたことが青空文庫の用例から分かる。明治から大正にかけては「障害」と「障碍(礙)」の用例数にさほど差があるわけでもなく、むしろ昭和になってから「障碍」の事例が目立つ(統計的に有意な数の用例を見つけてはいないのであくまで印象だが)。「障害」には身体障害を指しているらしき用例も見られる。

旧字収録の作品だけでは、「障碍(礙)」に「しょうがい(しやうがい)」というよみがなを付記した用例が見あたらなかったので、新字収録の作品も調べてみたら、以下のような用例が見つかった。

「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」と読む用例
1891(明治24) 山路愛山「英雄論」 三十年前、亜米利加(アメリカ)のペルリが、数発の砲声を以て、江戸城中を混雑せしめたる当時と今日とを並べ見るの利益を有する人々には我文明の勢、猶(なほ)飛瀑千丈、直下して障礙(しやうがい)なきに似たる者あらんか、東西古今文明の急進勇歩、我国の如きもの何処(いづく)に在る。

このほか多数の用例が見つかったが、上記はそのうち青空文庫でもっとも古いと思われる用例である。その他、興味深いのは森鴎外の用例で、1890(明治23)年の「うたかたの記」では「障礙(しょうげ)」、1910(明治43)年の「あそび」では「障礙(しょうがい)」となっている。同一の作者でもそのような差が見られる。

一応、青空文庫の用例の年代を素直になぞった解釈としては、明治中期までに「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」とする読み方が登場し、そこから明治後期には「障害」という当て字が登場したと推測できなくもない。しかし、その時期の差はわずかである。また、大正以降の作品でも「しょうげ(しやうげ)」と読む用例があるし、ある時点に突然「障碍(礙)」の読み方が変わったというわけでもないはずである。

つまり、「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」とする読みと、「障害」は、明治時代にそれぞれ独立して登場した可能性も考えられる。もしもそうなら、もちろん、「障害」は「障碍(礙)」の当て字ではないということになる。

まとめ

以下、調べて分かった事実関係をまとめる。

  • 江戸時代以前(古語辞典などの記載より)
    • 「障碍(礙)」は「しょうげ(しやうげ)」と読んでいた。
  • 明治時代(青空文庫の用例、法令の用例より)
    • 「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」とする読みが明治中期までに登場。
    • 「障害」が明治後期までに登場。明治中期までに登場。(2009年3月修正)
    • 身体障害を意味する「障害」「障碍(礙)」が明治後期の法令に登場。(2009年3月追加)
  • 大正~昭和初期(国語審議会の資料より)
    • 尋常小学校の教科書に使用する漢字の字形を定めた1919(大正8)年の漢字整理案では「碍」「礙」は記載無し。
    • 1931(昭和6)年の常用漢字表では「碍」「礙」は記載無し。1942(昭和17)年の標準漢字表では「碍」は準常用漢字、「礙」は特別漢字として記載有り。これらの漢字表は漢字制限を目的としていたが普及せず。
    • (初版を直接確認していないが、この時期に初版の漢和辞典には「障害」の記載有り。)
  • 戦後(国語審議会の資料、漢和辞典などより)
    • 1946(昭和21)年の当用漢字表では「碍」「礙」は記載無し。
    • 1949(昭和24)年に身体障害者福祉法が制定。
    • 確認した昭和20年代の漢和辞典には「障害」の記載有り。ただし身体障害の意味は記載無し。
    • 1956(昭和31)年の「同音の漢字による書きかえ」では、法令用語として「障碍→障害」の記載有り。
    • 現代のいくつかの辞典では、「障害」に身体障害の意味を追加。


繰り返すが、「本来は~」「かつては~」「そもそも~」という言説については、少なくともいつの時代の話なのかは明示すべきだということになる。

戦前・戦後で区切るのであれば、「障害」は戦前から使用されており、戦後の当用漢字制定以降に作られた当て字ではない。また、「障害」であれ「障碍(礙)」であれ、身体障害を指す特定の辞書的意味は戦前にはなかった。1956(昭和31)年の「同音の漢字による書きかえ」(国語審議会)は、単に同じ意味の熟語への書き換えとして「障碍→障害」を示しただけであり、造語や当て字には該当しない。

明治以前・以後で区切るのであれば、(古語辞典によると)明治以前の古語の時代には「障害」は使用しなかったが、「障碍(礙)」も「しょうげ(しやうげ)」と読んでいた。明治時代に、「障礙(しょうげ)」→「障礙(しょうがい)」→「障害」という変化が短期間のうちに起こった可能性は否定できないが、「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」とする読みと、「障害」は、明治時代にそれぞれ独立して登場した可能性も考えられる。いずれにせよ、「しょうげ」ならともかく、「しょうがい」を「障碍(礙)」と書くのが主流(本来)であった時期は、たとえあっても短期間であったはずである。

要するに、冒頭に引用したWikipediaの記述の通りである。ここまで長文を書き連ねた自分が恥ずかしくなるくらい(苦笑)、Wikipediaの記述は実に正確かつ簡潔なまとめである。一方で、戦後当て字説を唱える一部の識者や、そうした言説に乗っかる多くの人たちは、根拠となる一次情報にちゃんと当たっているのだろうか?私みたいな素人でもひとまず確認できる一次情報の調査結果を、この記事では試しに記してみた。この議論は行政にも影響しているようだし、いま一度、専門家の中立的立場での調査結果を知りたいところである。

法令を対象とした追加調査などの続編あり(2009年3月1日追記)

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