「障害」は本当に「障碍」「障礙」の当て字なのか?
確実に言えることをひとまず結論として述べると、「障害」は、戦後の当用漢字制定以降に作られた当て字ではない。現時点のWikipediaに以下のように記されているとおりである。
「障害」、「障礙」はいずれも当用漢字制定前から同じ”さわり・妨げ”という意味の熟語として漢和辞典に掲載されており、「障害」という表記は「礙」を同音の「害」に単純に置き換えて戦後に造語されたものではない。ただし現在のような“身体の器官や能力に不十分な点があること”という特定の意味ができたのは後年である。なお、「碍」は「礙」の俗字であるため「障碍」を掲載しない漢和辞典もある。
(Wikipedia日本語版「障害者」(2008年3月22日 (土) 1324 の版))
目次:
- 背景
- 戦前・戦中・戦後の国語施策における「害」「碍」「礙」
- 辞典における「障害」「障碍」「障礙」
- 青空文庫における用例
- まとめ
法令を対象とした追加調査などの続編あり(2009年3月1日追記)
背景
最近、「障害者」という表記を、法令用語等を除いて「障がい者」に書き換える動きがいくつかの自治体に見られる。2001年に東京都多摩市が「障がい者」を導入したのが早期の事例として知られているようである。報道等によると、都道府県レベルでも2004年の福島県をはじめとして現時点で7道県(福島、北海道、大分、山形、三重、宮崎、熊本)に導入されている。さらに来月からは岩手県も導入するそうである。
「害」という文字に否定的な意味があり、「障がい者」に不快感を与え、人権尊重の立場からも好ましくない、というのが書き換えの主な理由である。「(周りにとって)障害になる者」という意味ではないことを明確にするために「障害のある方」という言い換えもあるそうだが、これについても多摩市の場合は「障がいのある方」とするそうである。それらに対して、そうした交ぜ書きは日本語の美しさを損ねる、あるいは、表現の問題は本質ではなく、「障害者」に関する諸問題の解消にはつながらない、といった反対論も聞かれる。
それらについての賛否は、ここでは述べない。ただ、気になる点が一つあった。
賛成、反対を問わず聞こえてくる言説として、「障害」は本来、「障碍」「障礙」(読みはいずれも「しょうがい」)と表記していた、というものがある。「障害 障碍」でGoogle検索してみると、「障害」は戦後の当用漢字による漢字制限がもたらした当て字(宛字)であるという主張を展開しているWebページが検索上位に表示される。たとえば以下のようなページがある。
さて、「障害」という単語もこの「書き換え」による産物であります。 この単語は本来は「障碍(障礙)」(「礙」は「碍」の正字)と表記されるべきものです。 「障」「碍(礙)」ともに「さしつかえる」という意味の単語で、何かことを行うときにさしつかえてしまうことを指します。 (なお、このように同じ様な意味の漢字を二つ並べて熟語を作る例は漢語には多く見られます。 例えば「咽喉」という単語の「咽」「喉」はともに「のど」を意味します。) ところがこれら二つ重なった自動詞「さしつかえる」のうちの一つ即ち「碍(礙)」の方が当用漢字表からもれてしまったため、「書き換え」が行われました。 つまり、「碍(礙)」と同じ音の「害」が当てられたのです。 (なぜこの漢字が書き換えに用いられたかはまだ私は確認しておりませんが、恐らくは「傷害」という単語からのアナロジーであったと推測しています。)
(熊田政信, 「「障害」は「障碍」(「障礙」)と表記すべきである」, 国立身体障害者リハビリテーションセンター「国リハニュース」第226号, 2002年8月.)
さてそもそも、「障害」という言葉は、かつては「障礙」とか「障碍」と書いていた。しかし戦後の漢字制限で「礙」「碍」の漢字が表外漢字になってしまったため、「害」という漢字を宛てて「障害」と書くことが広まったのである。
“「害」という漢字は障害者が他の人に何か害を与えるみたいで不穏当だ”と主張する人が一部にいるが、それは戦後の国語審議会や「障害」の宛字を発明した人に文句を言って欲しい。
(Kan-chan, 「障害 伝統的には「障礙」「障碍」と書くのが正しい」, 2008年2月23日閲覧.)
国語辞典や漢字使い分け解説書にも、本来は「障碍」、と記述しているものがある。
しょうがい【障害】 (本来の用字は、「障碍」。「碍」もさしつかえるの意)
(途中省略)
[表現] 「障礙」とも書く。
(三省堂, 「新明解国語辞典 第六版」, 2005年.)
(「障害」の項目において)
本来は表外字で「障碍」と書き、まれに「障礙」とも書く。
(中村明, 「漢字を正しく使い分ける辞典」, 集英社, 2006年.)
三省堂の売れ筋の国語辞典にも、日本語研究者で早稲田大学名誉教授である中村明さんにも、国立機関の耳鼻咽喉(いんこう)科医の熊田政信さんにも、その他あちこちでそう言われたら、普通はそのまま信じるところだ。「障害者」という表記に否定的な人には「戦後の国語審議会や「障害」の宛字を発明した人に文句を言って欲しい」ということになるのかもしれない。
しかし、この件について興味を持って調べ始めたときに、冒頭で引用したWikipediaの記述(これもGoogle検索の上位)に出くわした。履歴を確認すると、2007年1月に「諸星団」さんという方が記述を変更していることがわかる。それまでのWikipediaの記述はこれまた「戦後の当て字」説であったが、それを訂正する編集が施されている。「諸星団」さんの利用者ページを見ると、「障害」について諸橋大漢和まで引いて確認していたこともわかる。一般論としては、どこの誰が編集したのか知れないWikipediaの信頼度は相対的に低い。しかし、時々その逆の場合もあり、当該の件についてはこちらが正確なのではないかという気がしていた。
私は専門家ではないが、いろいろ思うところもあり、できる範囲で調べてみることにした。
戦前・戦中・戦後の国語施策における「害」「碍」「礙」
過去の日本の国語施策については、文化庁「国語施策情報システム」で資料を入手できる。以下、確認した資料の概要と「害」「碍」「礙」の有無を列挙する。
- 文部省普通学務局国語調査室, 「漢字整理案」, 1919(大正8)年12月.
尋常小学校の教科書に使用する漢字について、字形を整理し標準を定めたもの。字数は2600あまり。
⇒ 「害」は整理案に記載有り。「碍」「礙」は記載無し。 - 臨時国語調査会, 「常用漢字表」, 1931(昭和6)年6月.
臨時国語調査会が1923(大正12)年に発表した常用漢字表を修正したもの。この表の趣旨は、漢字制限の立場から国民教育及び国民生活における漢字の負担を軽減しようとするものであった。固有名詞以外でこの表にない漢字は仮名で書くこととしていた。字数は1858字。新聞などでは、この常用漢字表による漢字制限を多少の加減の上で実行を宣言していた。
⇒ 「害」は漢字表に記載有り。「碍」「礙」は記載無し。 - 国語審議会, 「標準漢字表」, 1942(昭和17)年6月.
「近来わが国において漢字が無制限に使用され、社会生活上少なからぬ不便がある」(原文より新字新仮名で引用)という認識から、これを整理統制して、各官庁及び一般社会において使用する漢字の標準を示したもの。1942年12月には三つの区分をなくし字数を2669字に改め内閣申し合わせを行った。政府の施策として最初の漢字制限となったが実行されなかった。
⇒ 「害」は常用漢字、「碍」は準常用漢字、「礙」は特別漢字として漢字表に記載有り。- 常用漢字(国民の日常生活に関係が深く一般の使用度が高い1134字)
- 準常用漢字(常用漢字に比べ、日常生活に関係が薄く一般の使用度も低い1320字)
- 特別漢字(皇室典範、帝国憲法、歴代天皇の追号、教科書に掲載する詔勅などの、天皇に関係する文字で、前記以外の74字)
- 国語審議会, 「当用漢字表」, 1946(昭和21)年11月.
法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で、使用する漢字の範囲を示したもの。国民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだもの。標準漢字表(1942年6月)の常用漢字を審議の基礎としていた。固有名詞については別に考えることとした。審議会答申の直後(1946年11月)に内閣告示・訓令で公布。字数は1850字。
⇒ 「害」は漢字表に記載有り。「碍」「礙」は記載無し。 - 国語審議会, 「同音の漢字による書きかえ」, 1956(昭和31)年7月.
(原文より引用)「当用漢字の使用を円滑にするため,当用漢字表以外の漢字を含んで構成されている漢語を処理する方法の一つとして,表中同音の別の漢字に書きかえることが考えられる。ここには,その書きかえが妥当であると認め,広く社会に用いられることを希望するものを示した。」案として審議会が文部大臣に報告。
⇒ 「障碍→障害(法令用語改正例として)」、「妨碍→妨害」の記載有り。
なお、書き換えについては、国語審議会では以下の5分類にて整理、検討していた。- 同じ字源か,または正俗同字のもの(廻転→回転 など)
- 音通のもの(史蹟→史跡 など)
- 同じ意味か,または似た意味の語を借りたもの(聯合→連合 など)
- 新しく造語したもの(慰藉料→慰謝料 など)
- 単に音を借りたもの(庖丁→包丁 など)
まず、戦前・戦中にも戦後の当用漢字と同じような漢字制限が試みられていたことに驚く人もいると思う。漢字の廃止をアメリカ(GHQ)が提言したのは割と知られているが、そもそも日本国内でも明治維新以来、脱亜入欧思想などのため、漢字の廃止・制限の動きは一定の勢力を持っていた。新聞などは、印刷コストを削減したい事情もあって、1923年に発表された常用漢字表の実施に積極的だった過去を持つ。1942年の標準漢字表は、日本軍が占領した地域での日本語教育を容易にする目的もあった。そして4年後、GHQ占領下の日本の当用漢字表は、その標準漢字表中の常用漢字を審議の基礎とした。漢字存続論にも妥協して出来上がった当用漢字表(1850字)は、結局のところ1931年の常用漢字表(1858字)とほぼ同じ字数となっている。
漢字制限の歴史については、たとえば旧・文部省「学制百年史」第一編第五章第三節二やWikipedia日本語版「漢字廃止論」に概略が記されている。先述の文化庁「国語施策情報システム」には国語施策年表が掲載されている。
さて、「碍」「礙」という字は、戦前・戦中でもさほど使用度や重要度の高い漢字ではなかったことが伺える。それぞれの漢字表の字数と、「碍」の有無とを照らし合わせると、使用度や重要度の順位で言えば「碍」はせいぜい2000位以下だったのではないかと推測する。それに、尋常小学校(当時は義務教育6年制)のレベルで登場しないようだと、読み書きできない人が相当いたのではないか。
そんななか、1942年の標準漢字表にて「礙」が特別漢字(天皇に関係する文字)に選出された理由として、米英に対する宣戦の詔書(1941年12月8日)に「障礙(シヨウガイ)」が含まれているのを松山大学法学部長の田村譲さんのページで見つけた(もちろん、その「障礙」というのは、身体の器官や能力についてのことではなく、米英両国のことである)。「璽」「嵯」「峨」など、いかにもという特別漢字とは違って、「礙」はたまたま標準漢字表に拾われた漢字であろう。
1956年の「同音の漢字による書きかえ」では、「障碍→障害」が法令用語の書き換え例として示されている。1947年の児童福祉法には「障害児」という用語が登場し、1949年には身体障害者福祉法が制定されている。これらを踏まえた書き換えの例示であろう。
なお、「同音の漢字による書きかえ」における書き換えの例示は、なにも当用漢字表制定後の造語や当て字ばかりではなく、元来存在していた同じ字源や意味の熟語をいずれか一方に統一したものもあるので、誤解しないように留意する必要がある。
辞典における「障害」「障碍」「障礙」
以下、いくつか調べてみた漢和辞典などの記述を、表形式にして整理する。ちなみに、諸橋大漢和は、再開発の進む東池袋に昨年移転した豊島区立中央図書館にて閲覧した。今回ほど住民税を払ったかいがあったと思ったことはない(苦笑)。
辞典名 | 辞典の著者・編者 出版社 発行年など |
当該の記述 (漢字表記は【 】、読み仮名はその後ろに記す。用例は省略。) |
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諸橋大漢和 | 大漢和辞典 修訂第2版(全15巻) | 諸橋轍次 大修館書店 1989~1990年(初版1955~1960年、全13巻) |
【障害】(シヤウガイ) さはり。さまたげ。邪魔。又、其の物。障礙。 【障礙】(シヤウガイ) さまたげ。さはり。邪魔。障碍。 |
初版が戦前の漢和辞典 | 修訂増補 詳解漢和大字典 |
服部宇之吉・小柳司気太 冨山房 1952年(初版1916年) (1998年第128刷を調査) |
【障害】(しょうがい) さしさはり、さまたげ。 【障碍・障礙】(しょうがい・しょうげ) さまたげ、邪魔。 |
新修漢和大字典 増補版 | 小柳司気太 博友社 1953年(初版1932年) (2007年第45刷を調査) |
【障害】(シヤウガイ) さはり、さまたげ、邪魔。又其の物。 【障碍】(シヤウガイ) 障害に同じ。 【障礙】(シヤウガイ) 障害に同じ。 |
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学習用漢和辞典 | 新漢語林 | 鎌田正・米山寅太郎 大修館書店 2004年 |
【障害】(ショウガイ) ①さまたげ。また、その物。 ②心身の機能が正常に働かないこと。 【障碍・障礙】(ショウガイ) ①さまたげ。また、その物。 |
漢字源 改訂第四版 | 藤堂明保・松本昭・竹田晃・加納喜光 学研 2007年(初版1988年) |
【障害 {碍}】 [障礙](ショウガイ) 物事をするとき、じゃまになる事柄。さまたげ。じゃま物。 (凡例によると、{碍}は「同音の漢字による書きかえ」の対象、[障礙]は同じ意味の熟語。) |
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国語辞典 | 広辞苑 第五版 | 新村出 岩波書店 1998年(初版1955年、第六版2008年) |
【障害・障碍】(しょうがい) ①さわり。さまたげ。じゃま。 ②身体器官に何らかのさわりがあって機能を果たさないこと。 ③障害競走・障害物競走の略。 【障礙・障碍】(しょうげ) さまたげ。さわり。障害。 |
新明解国語辞典 第五版 | 山田忠雄・柴田武・酒井憲二・倉持保男・山田明雄 三省堂 1997年(初版1972年、第六版2005年) |
【障害】(しょうがい) (もとの用字は、「障碍」。「碍」もさしつかえる意) ①正常な運営やスムースな進行をさえぎりとどめるもの。 ②ハードル。 ③〔←障害物競走〕〔陸上競技や競馬で〕定められた距離の途中に障害物を置き、それを飛び越して走る競走。 [表記] 「障礙」とも書く。 【障碍】(しょうげ) 「障害」の意の古語的表現。 [表記] もとの用字は、「障礙」。 |
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古語辞典 | (確認したいくつかの古語辞典) | 【障礙・障碍】(しょうげ(しやうげ)) (さまたげ、さわりの意味を定義) |
なお、冒頭のWikipediaからの引用にあるように、「碍」は「礙」の俗字であり、この点について漢和辞典の記述に差異は見られなかった。
諸橋大漢和や戦前に初版の漢和辞典では、「しょうがい(シヤウガイ)」という読み仮名に対して、「障害」「障礙(碍)」あるいは「障害」「障碍」「障礙」という複数の見出し語を記し、その上で同じ意味を定義している。身体障害の意味は見られない。なお、「障礙(碍)」の古語的読み仮名である「しょうげ」は記載していない漢和辞典が多い。
古語辞典にさかのぼれば、それらの熟語の読み仮名としては「しょうがい」は存在せず、「しょうげ(しやうげ)」のみ記載されている。そして「障害(しょうがい)」は記載されていない。
一方で、最近の漢和辞典や国語辞典ではまちまちである。「障害」の本来の用字は「障碍」だと言い切る辞典(新明解国語辞典)もあれば、「障害(しょうがい)」に身体障害の意味を追加して区別する辞典(新漢語林、広辞苑)もある。広辞苑は現代語と古語が同居していることもあっていまいち理解しづらい状態になっている。
確実に言えるのは、当用漢字表に基づく「同音の漢字による書きかえ」以前から「障害」(しょうがい)は辞書に存在し、そのころは「障害」にせよ「障礙(碍)」(しょうがい)にせよ身体障害を指す特定の辞書的意味はなく、一方で古語辞典には「障礙(碍)」(しょうげ)のみ存在している、ということである。「本来は~」「かつては~」「そもそも~」ということを言うなら、少なくともいつの時代の話なのかは明示すべきだということになる。
青空文庫における用例
でははたして、「障礙(碍)」を「しょうがい」と読むようになったのはいつで、「障害」が登場したのはいつなのだろうか?「戦後に書き換え」説は否定されたとしても、この疑問は依然として残っている。『もとの用字は、「障礙(碍)」』という新明解国語辞典などの記述は、戦前にさかのぼれば正しいのだろうか?
著作権が切れた小説等を電子化して無料で掲載しているコミュニティサイト「青空文庫」にて、用例をGoogle検索してみた(今年2月初旬に調査)。Googleの検索が完全というわけではないだろうし、素人の目視で用例を確認したので見落とし、見間違いもあるかも知れないことを先に断っておく。
検索して調査した結果には、新字新仮名の底本を電子化に使用しているものや、電子化の際に新字新仮名へ変更したものもある。それらを除外し、旧字で収録されている作品のみを対象とした。新字で収録されている作品の場合、「障礙(碍)」を「障害」に書き換えたのか、それとも元から「障害」なのか、区別がつかないためである。なお、発表年について青空文庫に記載がないものがあり、それらについては他の情報を適宜参考にした。
発表年 | 作品名・作者 | 用例(各一例ずつ引用) |
---|---|---|
「障害」: 6人、7作品(明治…4、大正…2、昭和…1) | ||
1901(明治34) | 高山樗牛「美的生活を論ず」 | 善事を行はむとする際の内心の障害は即ち惡念也。 |
1903(明治36) | 長塚節「撃劍興行」 | 若物もさすがに受けには受けたが強力の竹刀は障害のあるにも拘らず相手の頭上を手痛く打ち据ゑるのである、 |
1908(明治41) | 石川啄木「菊池君」 | 其企てが又、今の樣に何の障害(さわり)なしに行はれる事が無いので、 |
1912(明治45) | 長塚節「土」 | 霙(みぞれ)や雪(ゆき)や雨(あめ)が時(とき)として彼等(かれら)の勞働(らうどう)に怖(おそ)るべき障害(しやうがい)を與(あた)へて |
1922(大正11) | 横光利一「榛名」 | 私は日に日に都會に集つてゐる敏感な人間が、肉體に備へられた自身の完全な防音器のために、却つて一層聾のやうになり始め、その逆に鈍感な肉體が、不完全な防音器官の障害で一層物音に敏感になつてゐる近ごろの變異な徴候を、今この身に滲み渡る休息の靜けさの中から新鮮に感じて來た。 |
1926(大正15) | 若杉鳥子「梁上の足」 | あらゆる障害物を飛び踰えて、 |
1932(昭和7) | 水野仙子「嘘をつく日」 | かくして私もある日は部屋に閉ぢて、しづかにその障害の去るのを待ちつつ横(よこたは)るのである。それは大抵わづかではあるが、熱とそれから胸部のいたみとのためであつた。 |
「障碍」: 11人、13作品(明治…2、大正…4、昭和…7) | ||
1900(明治33) | 木下尚江「佐野だより」 | 余はかねてより我が國運の障碍と思ひければ、 |
1902(明治35) | ハンス・クリスチアン・アンデルセン(森鴎外訳)「即興詩人」 | 今年中はいかなる惡魔の障碍をも免るゝならん。 |
1913(大正2) | 桑原隲藏「東洋史上より觀たる明治時代の發展」 | 支那と日本と長い通交の割合に、彼此往復した國際文書の多くなかつたのは、かかる障碍があつた結果とも見るべきである。 |
1913(大正2) | 桑原隲藏「支那人辮髮の歴史」 | 清軍の南方經略に一時尠からざる障碍を與へた事件 |
1920頃? 底本は1942(昭和17) |
エム・ケー・ガンヂー(福永渙訳)「スワデシの誓」 | かかる大なる目的は、困難を伴はずには達せられないし、當然その途中に障碍があるのだ。 |
1922(大正11) | エム・ケー・ガンヂー(福永渙訳)「非暴力」 | 當然の歸結として非協同を伴ふところの非暴力か、妥協的な協同――即ち障碍を伴ふ協同への復歸か、 |
1927(昭和2) | 小林多喜二「防雪林」 | 全く何も障碍物のない平野に出てしまつた頃、 |
1929(昭和4) | 平林初之輔「政治的價値と藝術的價値」 | 一時文學そのものの發達には、多少の障碍となつても、階級對立を絶滅することを欲するからである。 |
1932(昭和7) | 長岡半太郎「物理學革新の一つの尖端」 | 多少の波瀾を交へて徐々に進歩して來た物理學は、前世紀の末ごろ大なる障碍に逢うて、 |
1937(昭和12) | 蒲原有明「詩の將來について」 | 自由詩の障碍は最初からその脚下にあつたのである。 |
1942(昭和17)没、生前未発表 | 中島敦「河馬」 | 障碍(ハードル)も容易(やす)く越ゆべし汝が脚の逞しくして長きを見れば |
1943(昭和18) | 波多野精一「時と永遠」 | 直接性において他者と交はる主體、他者に對してただまつしぐらに自己を主張する主體にとつては、他者は障碍と反抗とを意味する外はない。 |
1946(昭和21) | 仁科芳雄「日本再建と科學」 | 世界人類發達の障碍となるものとして避くべきことといはねばならぬ. |
「障礙」: 3人、3作品(明治…2、大正…1) | ||
1891(明治24) | 大槻文彦「ことばのうみのおくがき」 | さるに、此事業、いかなる運にか、初より終まで、つねに障礙にのみあひて、ひとつも豫算のごとくなることあたはず、 |
1909(明治42) | 長塚節「旅の日記」 | 然し峠といふ天然の一大障礙は |
1914~1922(大正11)訳 | アリギエリ・ダンテ(山川丙三郎訳)「神曲」 | ひとりの尊き淑女天にあり、わが汝を遣はすにいたれるこの障礙(しやうげ)のおこれるをあはれみて天上の嚴(おごそか)なる審判(さばき)を抂ぐ 九四―九六 |
これだけでは断言はできないかもしれないが、遅くとも明治後期には「障害」を使用していたことが青空文庫の用例から分かる。明治から大正にかけては「障害」と「障碍(礙)」の用例数にさほど差があるわけでもなく、むしろ昭和になってから「障碍」の事例が目立つ(統計的に有意な数の用例を見つけてはいないのであくまで印象だが)。「障害」には身体障害を指しているらしき用例も見られる。
旧字収録の作品だけでは、「障碍(礙)」に「しょうがい(しやうがい)」というよみがなを付記した用例が見あたらなかったので、新字収録の作品も調べてみたら、以下のような用例が見つかった。
「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」と読む用例 | ||
---|---|---|
1891(明治24) | 山路愛山「英雄論」 | 三十年前、亜米利加(アメリカ)のペルリが、数発の砲声を以て、江戸城中を混雑せしめたる当時と今日とを並べ見るの利益を有する人々には我文明の勢、猶(なほ)飛瀑千丈、直下して障礙(しやうがい)なきに似たる者あらんか、東西古今文明の急進勇歩、我国の如きもの何処(いづく)に在る。 |
このほか多数の用例が見つかったが、上記はそのうち青空文庫でもっとも古いと思われる用例である。その他、興味深いのは森鴎外の用例で、1890(明治23)年の「うたかたの記」では「障礙(しょうげ)」、1910(明治43)年の「あそび」では「障礙(しょうがい)」となっている。同一の作者でもそのような差が見られる。
一応、青空文庫の用例の年代を素直になぞった解釈としては、明治中期までに「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」とする読み方が登場し、そこから明治後期には「障害」という当て字が登場したと推測できなくもない。しかし、その時期の差はわずかである。また、大正以降の作品でも「しょうげ(しやうげ)」と読む用例があるし、ある時点に突然「障碍(礙)」の読み方が変わったというわけでもないはずである。
つまり、「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」とする読みと、「障害」は、明治時代にそれぞれ独立して登場した可能性も考えられる。もしもそうなら、もちろん、「障害」は「障碍(礙)」の当て字ではないということになる。
まとめ
以下、調べて分かった事実関係をまとめる。
- 江戸時代以前(古語辞典などの記載より)
- 「障碍(礙)」は「しょうげ(しやうげ)」と読んでいた。
- 明治時代(青空文庫の用例、法令の用例より)
- 「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」とする読みが明治中期までに登場。
- 「障害」が
明治後期までに登場。明治中期までに登場。(2009年3月修正) - 身体障害を意味する「障害」「障碍(礙)」が明治後期の法令に登場。(2009年3月追加)
- 大正~昭和初期(国語審議会の資料より)
- 尋常小学校の教科書に使用する漢字の字形を定めた1919(大正8)年の漢字整理案では「碍」「礙」は記載無し。
- 1931(昭和6)年の常用漢字表では「碍」「礙」は記載無し。1942(昭和17)年の標準漢字表では「碍」は準常用漢字、「礙」は特別漢字として記載有り。これらの漢字表は漢字制限を目的としていたが普及せず。
- (初版を直接確認していないが、この時期に初版の漢和辞典には「障害」の記載有り。)
- 戦後(国語審議会の資料、漢和辞典などより)
- 1946(昭和21)年の当用漢字表では「碍」「礙」は記載無し。
- 1949(昭和24)年に身体障害者福祉法が制定。
- 確認した昭和20年代の漢和辞典には「障害」の記載有り。ただし身体障害の意味は記載無し。
- 1956(昭和31)年の「同音の漢字による書きかえ」では、法令用語として「障碍→障害」の記載有り。
- 現代のいくつかの辞典では、「障害」に身体障害の意味を追加。
繰り返すが、「本来は~」「かつては~」「そもそも~」という言説については、少なくともいつの時代の話なのかは明示すべきだということになる。
戦前・戦後で区切るのであれば、「障害」は戦前から使用されており、戦後の当用漢字制定以降に作られた当て字ではない。また、「障害」であれ「障碍(礙)」であれ、身体障害を指す特定の辞書的意味は戦前にはなかった。1956(昭和31)年の「同音の漢字による書きかえ」(国語審議会)は、単に同じ意味の熟語への書き換えとして「障碍→障害」を示しただけであり、造語や当て字には該当しない。
明治以前・以後で区切るのであれば、(古語辞典によると)明治以前の古語の時代には「障害」は使用しなかったが、「障碍(礙)」も「しょうげ(しやうげ)」と読んでいた。明治時代に、「障礙(しょうげ)」→「障礙(しょうがい)」→「障害」という変化が短期間のうちに起こった可能性は否定できないが、「障碍(礙)」を「しょうがい(しやうがい)」とする読みと、「障害」は、明治時代にそれぞれ独立して登場した可能性も考えられる。いずれにせよ、「しょうげ」ならともかく、「しょうがい」を「障碍(礙)」と書くのが主流(本来)であった時期は、たとえあっても短期間であったはずである。
要するに、冒頭に引用したWikipediaの記述の通りである。ここまで長文を書き連ねた自分が恥ずかしくなるくらい(苦笑)、Wikipediaの記述は実に正確かつ簡潔なまとめである。一方で、戦後当て字説を唱える一部の識者や、そうした言説に乗っかる多くの人たちは、根拠となる一次情報にちゃんと当たっているのだろうか?私みたいな素人でもひとまず確認できる一次情報の調査結果を、この記事では試しに記してみた。この議論は行政にも影響しているようだし、いま一度、専門家の中立的立場での調査結果を知りたいところである。
法令を対象とした追加調査などの続編あり(2009年3月1日追記)
大変参考になりました!
いま、福祉分野に近い医療系の勉強をしてるのですが、そこでは「障害」という漢字がやたらと出て来ます。以前から「障害」と「障碍」の議論を知ってたので、「障害」と書くことに違和感があります。
でも、最近思うのは、「障碍」と「障害」は別物ではないかということです。
精神障碍、発達障碍や障碍者については「障碍」でにした方がいいと思います。人に対する言葉で、人を傷つけるおそれのある表記で、他に代替があるならそっちを選ぶことに問題はないと思います。
しかし、「脳血管障害」のような疾患名や「血管が障害される」という用い方の場合は違う気がします。「血管が障害される」という場合、ものが詰まったりすることなので、詰まった状態から改善する必要があります。好ましくない(悪い)状態として認識するときは「障害」の方が向いていると思います。
もっとも、もし「障碍」が漢字本来の用い方であったなら、戦前説は崩れたとしても明治に入ってからの、それか幕末頃の日本で生まれた「漢字の誤用」(発祥地である中国を基準として)とも考えられるのではないでしょうか。
そこで、興味をもってYahooChinaで「障害」と「障碍」とを入れてみたところ、Hit件数は以下のようになりました。
障碍:23,301,166件
障害:42,748件
この結果、中国での使用頻度は「障碍」の方が多いことになります。ここから、本来は「障碍」が正しいという意見は、必ずしも誤っていないのではないかという考えも出来ます。
これまで、この議論は時間軸での議論が多かったですが、これからは他の漢字文化圏の傾向も見る必要があると思います。その際、漢字のお家元の中国は参考になるのではないでしょうか?
先に書いた「脳血管障害」は「障害」で言いと書きましたが、中国を基準にしたとき、「脳血管障碍」でも問題ないように思えます。
投稿 Niko | 2009年4月29日 02:24
> Niko さん
幕末や明治のころに「障害」が日本で使われ始めたとして、それを「当て字」とか「誤用」とか判断してしまうのも、私としてはひとまず控えたいところです。
また、中国を基準にするというのも、やはり同意しかねます。たとえば「野球」が誤りで「棒球」が正しいのかと言われると、多くの人が否定すると思います。ここでもし、一つの可能性として、「障害」が明治のころに生まれた翻訳語だとしたら、それは「誤用」と呼ぶべきではないでしょう。
いずれにせよ、確かな根拠が必要です。特にこの「障害」については、それぞれの思いが先走っているように見えるので、なおさら根拠が求められると思います。
投稿 小川創生 | 2009年4月30日 07:20
「しょうがい」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/92929/m0u/%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8C%E3%81%84/
→「大悪魔王と雖絶て其自由を—すること能はず/明六雑誌 6」
「明六雑誌」↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%85%AD%E9%9B%91%E8%AA%8C
「しょうげ」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/93335/m0u/%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%92/
→ 「いかなる悪魔の—なるか/自由太刀余波鋭鋒(逍遥)」
「自由太刀余波鋭鋒」↓
http://merlot.wul.waseda.ac.jp/sobun/t/tu015/tu015a05.htm
投稿 通りすがり | 2010年2月17日 15:39
中国では、中華思想になじまない近隣国を蒙古(蒙昧=バカ)とか倭(奴)の他に、犭辺(けものへん)を使った漢字を当てはめたりして差別していました。でも近代後は国内の地方名まで、発音が同じ雅字に変更しています。
このようなことが文化だと思います。戦前戦後の官僚や市民には「しょうがいには害もあり」という気分があったのではないでしょうか。平成ですから漢字の意味を唱える人々の発言に少し注視してはいかがでしょうか。卑しい意味のを持つ漢字・雅な意味を持つ漢字、どちらが優しいか考えて見たいです。
投稿 kunkou | 2010年8月20日 15:16
> kunkou さん
「蒙古」は現在でも中国で使用されていますよ?「内蒙古自治区」とか。
そうした事実確認をきちんとしませんか?というのが、このブログ記事の趣旨なのですが。
投稿 小川創生 | 2010年8月21日 00:32
小川様
おっしゃる通りですよね。
中国でも力のある地方(政局になりやすい)の
または、影響がまったくない地方の漢字は変更してますが
力の弱い地方(政局・・)の漢字表記は変わってないことがままあります。
障がい者の皆様も、弱い立場ですから、法の内容には注目されてますが、
漢字表記にまで関心が及ばないような状況ではないかと思われます。
「表記などに気を使っている場合ではないのじゃ、、、」
そんな事は、後回しという状況なのでしょう。(内蒙古も含めて)
漢字表記を研究されている皆様には
文字の持つ意味(字源)からジャッジされる事を望むものです。
よろしくお願いいたします。
投稿 kunkou | 2010年8月22日 21:27
こんにちは。
1984年の東京大学精神医学の教科書(呉秀三)の中に
言語障礙、精神障礙の文字がありました。
報告まで。
投稿 ta-mann | 2012年1月19日 14:52
個人的には、傷害を受けて苦しむ人を「障害者」とし、社会の邪魔者を「障碍者」とする方が自然な感じを受けますが、語弊を恐れず言えば『害』の字の持つイメージに拒絶反応を感じる方には、訳の分からない「碍」の字を用いておけば気が楽なのだと思います。言葉は生き物である以上、時代に受け入れられる方向に選択がなされるのは当然のことだと理解しています。 しがし、そのときは新語の登場が望まれるときでしょう。
私は、全くの素人ですが、思うところを述べさせていただきます。
もともと障碍の字が用いられてきたのであれば、どちらかというとその字は当時の時代背景を想像すると、身体に特異のある人を疎む傾向にあっただろうから、「社会の邪魔者」の意味があったのかもしれない。
戦後、戦いで傷を負った方々に対して邪魔者の意味を含まない言葉を使いたいという思いが生じ、傷害で差障られる者という意味で、障害者とし始めたのかもしれない。
このような解釈も成り立つような気がします。
.
投稿 臍 | 2014年4月15日 16:57
こちらのブログ記事で、江戸時代以前の医学の中での「障碍」の使用例を引いています。
「碍」と「布令字弁」 - tokujirouの日記
http://d.hatena.ne.jp/tokujirou/20140704/1404435326
蘭学者の緒方洪庵が西洋医学書を翻訳する際に、「障碍」という言葉を使ったとのことです。元は仏教語でしょうが、緒方が使った時に仏教語としての「しょうげ」と読まれていたのか、それともその当時既に「しょうがい」と読まれていたのかは分かりません。身体障害の意味ではありませんが、当時の日本医学の中で「障碍」という言葉が慣れ親しまれていたという裏付けにも思います。
一方で、明治政府のまとめた用語集には、「障碍」ではなく「障害」が入っていて、これが「障害」が社会に広まったきっかけではないかということです。
投稿 いるか | 2014年11月28日 11:56