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2006年8月28日

ウィキペディアについてのコラムを執筆、掲載した

勤め先 (大和総研) のWebサイトに、「Webフリー百科事典「ウィキペディア」にて「SOA」を寄稿してみた」というコラムを先々週に執筆、掲載した。

おおよそ半年に一回、コラム執筆の機会が巡ってくる。せっかくの機会だからと思うと、ついついあれこれ考え長々と書いてしまう。結局15時間くらい執筆に費やしてしまっただろうか。本来は800字程度が目安となっていて、他の方々のコラムは長くとも1000~1500字程度で収まっているのだが、私の場合は、いつもそれをさらに上回ってしまう。今回も2300字を超えていた。そんな原稿をいつも通してくださる担当者の方に感謝申し上げたい。

コラムのなかで、ウィキペディア (Wikipedia) はフリーで利用できる一方で、その寄稿や編集には (まじめに取り組めば) 多大な労苦を伴うということを体験談として書いた。しかしながら、そうした非合理性を補う知的な楽しさがあるのも事実である。誰の指図もなく、同時に自らの主張からも一歩引いたところで記述していくというのは、なかなか他では得がたいものがある。そうした楽しさまでコラムで書ききれなかったことは、少々心残りである。

さて、ウィキペディアには多言語対応の百科事典であるという大きな特徴がある。同じ項目について、それぞれの言語の記事を読み比べることができるし、他言語での表記を織り交ぜた解説も多い。技術的なことを言えば、これは UTF-8 (Unicode) を軸としたOSやブラウザの多言語対応が進んだ恩恵によるところが大きい。そして、これはもう、新たな活字文化の創出だと思う。

ただ、コラムにも書いたが、どうも日本語版の出来が芳しくない例が目立つ。イデオロギーに関わるような項目は特にそうだ。たとえば以下の三つを見比べてみるとはっきり見て取れる。

天安門事件 (1989年) の記事は、中国政府が中国国内からウィキペディアへのアクセスを制限するきっかけになったと伝えられているほど、政治的、歴史的にセンシティブなものである。中文 (中国語) 版ではかなり詳細な記述がなされている一方で、いわゆる「荒らし」も登場し、現在は編集停止の状態になっている。そうしたことを克服している英語版は、「秀逸な記事 (Featured Article)」に選出されるほど、詳細かつ客観的な記事に仕上がっており、大変参考になる。

そして、日本語版・・・何も言うまい。辞書を引きながら英語版を閲覧することをお薦めする。

実はコラムにおいて、「ともすれば日本語版は、閲覧に堪えるべき百科事典を執筆しているという自覚を欠いた寄稿者の割合が高いのではないか。 」という文章の後に、「極端なことを言えば、(特に英語版との) 民度の差を感じることすらある。」というような一文を最初は付け加えていた。自分のコラムではなく会社のコラムなのだから少々言い過ぎかなとも思い直し、原稿を提出する前に削除していた。

とはいえ、持つべき自覚を欠いた者によって記事が荒らされたり不適切な改変がなされたりしてしまっては、優秀な寄稿者ほど失望して、寄稿をやめるかあるいは英語版に移ってしまうだろう。閲覧者も然りである。それはまさに、民度の差の拡大である。それがグローバリゼーションの帰結なのだとしたら、いささか悲しい。

「『そういう文句を言うなら、あなた自身が寄稿したらどうか』と、時々自問することがある。」 とコラムでは書いた。政治や歴史についての記事はなかなか書けないが、IT関連なら寄稿できる。しかし、業務に直結する記事を寄稿してしまうと後々著作権を巡って面倒なことになるということもコラムで書いた。ただしそれは多少言い訳じみており、ボランティアの寄稿にそこまでエネルギーを注ぎ込めないというのが正直なところである。結局のところ、自問への答えを見いだせないでいる。

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